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旧制長崎県立長崎中学校(きゅうせいながさきけんりつ ながさきちゅうがっこう)は、1884年(明治17年)、長崎県により長崎市に設立された旧制中学校。 幕末維新期の洋学校・明治初期の外国語学校の系譜を引く。 現在の長崎県立長崎東高等学校と長崎県立長崎西高等学校の源流となった。略称は「長中」(ちょうちゅう)〔応援歌の歌詞に「長中健児」の語がある。現在「長中」は長崎市立長崎中学校を指す。〕。 == 概要 == ; 校訓 「質実剛健」 * 聖旨を奉体し、皇国の尊厳を自覚して忠孝の道念堅固なるべし。 * 身体の健全と知徳の並進とを期し、自彊息まざるべし。 * 質実剛健の気風を養い、躬行実践に努むべし。 * 廉恥を重んじ、規律協同を養うべし。 * 敬神崇祖以て敬虔報恩の情操を養うべし。 ; 校章・校旗 :「中」の文字を使用し、縦線(|)の上部左に2本の横線をつけて「くちばし」、下部右に2本線をつけて「脚」、口の部分に丸みをつけ半円のようにして左右に広げた羽、全体として長崎を象徴する鶴がはばたく姿を表した。校旗は星(☆)を背景に、前述の校章を配している。 ; 校歌 :吉丸一昌作詞、同野貞一作曲。2番まであり、どちらも「奮え奮え友よ大丈夫(ますらお)」で終わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎県立長崎中学校 (旧制)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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